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last updated 1997/05/27

第12話(全130話)

マスター (1/3)




7 マスター

 ひとつの機械がかすかな電気の唸りを立てながら、深い森の中を移動していた。
 丸く平べったい頭部と、寸詰まりのドラム缶のような胴体、その両サイドに蛇腹状の長い腕
を持ち、腕の先には三つ又の鋏のようなパワー・フィンガー・スティックがついている。全体
に縦長で倒れやすい構造なのだから、それを支える底辺部は、どっしりと幅の広いキャタピラ
か何かで安定移動出来るように作ればいいのに、その機械は太くて短い二本の足を交互に前後
させて移動するように作られていた。製作者があくまでもヒューマノイド型にこだわったせい
だろう。
 それは非反光性の白色に塗られ、手と足の蛇腹部分に蛍光性のオレンジ色が塗付されている
。そんなずん胴短躯の機械にはマスターという名が付けられていた。本当は、たとえばEOI
K364WSとかいう製品名なのかもしれないが、この地ではマスターという名で知られてい
た。
 マスターはいま、森の奥へと歩を進めながら茶色い花を捜していた。花を摘むのが好き、と
いうわけではない。花を愛でるとか、木々のそよぐ音に耳をすますとか、そういう情緒的な感
覚は、マスターにはなかった。マスターはこの土地を統率するカーマイン城の君主カイラの娘
で、世継ぎでもあるマリカ姫の下僕兼教育係としてシステムアップされたロボットだった。だ
から情緒を解する心、みたいなものは必要とされていなかった。彼に出来るのは、花を愛でて
いる姫の姿を観察し、その心拍数や脳波を測定し、その上で「花と過ごすひと時が姫の精神を
安定させ、ストレス・レベルを減少させる」と判断して、その結果をメモリーバンクの中にイ
ンプットすることだけだ。機械に心は取り付けられない。どれだけ巧みに言葉を操り、人間の
感情に関するデータを蓄えても、それはただ機械の電子パルスが回路を通って処理命令を出す
状況反応力でしかない。自動車のエアバックが、事故のさいに運転手の命を救ったとしても、
それは自動車が運転手を守ろうと思った結果ではない。衝撃を感知し、スイッチがオンになり
、バンッとエアバックがふくらんだ、と、それだけのことだ。いたって機械的な反応。そこに
心はない。それと同じでマスターも姫に危険が迫れば、身を投げ出して守るような反応に出る
が、それもそういうふうにプログラムされているからに他ならない。
 いま茶色い花を捜すマスターは、マリカ姫介助プログラムの作動によって動いていた。
 父王と激しく口論して気分が苛立っている姫の姿を観察し、それが姫のストレス・レベルを
上昇させていると判断したコンピュータが、メモリーバンクの中から、そういう状況に対する
反応命令を出した。インプットされた膨大なデータの中からコンピュータは即座に茶色い花に
関する情報を引っ張り出してきた。茶色い花、セジューラには、人間のストレスを軽減させる
効能があるとデータには記されていた。マスターはそのデータから植性分布図を開き、機関内
コンパスで方向を確認し、そしてこの森の中へと足を踏み入れていた。
 天に突き刺さるように高く真っ直ぐに立ち並ぶ落葉樹の森。専門家が見たならそれだけで、
ここが地球上のいかなる土地の景観でもないとわかるだろう。落葉樹は紅葉し、葉を散らし、
その落ち葉の堆積によって、肥沃な土壌を作り、そこから養分を吸収する。だから自分の枝か
ら落ちた葉を確実に自分が根を張っている範囲の中に落とす必要があり、だからある程度以上
には決して高くならない。高くなれば落ち葉が風に流される距離がそれだけ長くなり、せっか
くの落ち葉がよその地とへ飛ばされてしまう危険が増すからだ。少なくとも地球上の落葉樹は
そういう自己規制の中で育つ。だがこの森の木々はどれも色とりどりに紅葉しているのに、そ
の背丈はゆうに百メートルに届こうかというほど天へと真っ直ぐに伸びているのだった。真っ
直ぐな幹と空高く伸び上がる異常な高さ、それはここが無風に近い環境にあるせいだと考えら
れる。地球上で、これだけ高く大きく木が育つ期間、まったくの無風に近い状態を保っている
土地は皆無だ。だから専門家は言うだろう。「ここは地球ではない」と。
 そして専門家ではない、たとえば子供たちがこの森を目にしたなら、きっと青や水色に染ま
っている木々の葉もあることに気づき、「わぁ」と喚声を上げるだろう。地球の木々は赤や黄
や茶といった暖色系にしか色付かないことを、子供たちは体験的に知っている。こんな寒色系
に色付く木々というのは、はじめて目にする景色の筈だ。この地ではだから色付く葉っぱに「
紅葉」と名付けることは出来ないだろう。そう思うかもしれない。そして実際にこの土地では
「紅葉」のことを「彩葉」というふうに呼んでいる。
 そんな「地球ではない」森の「彩葉した木々」の間を抜けて、マスターは迷うことなく進ん
でいた。森にはミルク色の濃い霧が立ちこめ、奥は暗い闇に包まれていたが、暗視スコープ付
きのマスターの目は、まったく暗さを苦にしなかった。遠くから川のせせらぎが聞こえてきた
。マスターは二キロ先で木の葉が川面に落ちる、その微かな水音を感知することも出来た。マ
スターは太陽電池のブーンというモーター作動音を足音の代わりにして、川へと向かって歩を
進めて行く。
 この辺り一帯の森は『エルモの森』と呼ばれていた。地球で言えばお酒の成分に近い、酩酊
作用のある水蒸気を放出するエルモの木が森全体の六割を絞めていて、そのせいで森はいつも
太陽光を滲ませる重くまとわりつくような霧に覆われている。だからどんな日中でも薄暗い光
しか射し込まない。

(つづく)




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